1950年(No.1)~1981年(No.99)
年号 | No. | 通巻 | 発行日 | 表題 | 著者 | 著者所属 |
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1950 | 1 | 昭和25年3月 | Finechemicals | |||
1950 | 昭和25年3月 | 化学工業と試薬の分野 | 野澤 清人 | 関東化学株式会社 社長 | ||
1950 | 昭和25年3月 | JES規格 燐酸二カリウム(案) | ||||
1950 | 昭和25年3月 | 試薬業の解剖(一) | ||||
1950 | 昭和25年3月 | 地方通信欄 | ||||
1950 | 昭和25年3月 | 工場便り | ||||
1950 | 2 | 昭和25年7月 | Fine chemicals | |||
1950 | 昭和25年7月 | 特級品について | 前島 市太郎 | 関東化学株式会社 草加工場長 | ||
1950 | 昭和25年7月 | JIS規格 無水酢酸 | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 試薬検査所の設立 | ||||
1950 | 昭和25年7月 | カールフィッシャー試薬について | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 花王試薬 | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 海宝シート寒天 | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 試薬業の解剖(二) | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 関東化学企画部ニュース | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 地方通信欄 | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 工場便り | ||||
1950 | 昭和25年7月 | 新製品紹介 Tetrabmphenol1 phthalein ethylesterによる蛋白質の証明(1) |
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1950 | 3 | 昭和25年10月 | Fine chemicals | |||
1950 | 昭和25年10月 | 有機試薬解説(1) | 内藤 多喜夫 | 名古屋薬科大学 学長 | ||
1950 | 昭和25年10月 | 試薬業の解剖(三) | ||||
1950 | 昭和25年10月 | なぜ関東化学は躍進するか | ||||
1950 | 昭和25年10月 | JIS規格 硫酸ヒドラジン | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 工場長プ口フィール | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 精油硬化剤としてのアルミニウムステアレートー | ||||
1950 | 昭和25年10月 | Table of organic Dyes & Indicators No.1. | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 工場便り | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 新製品紹介欄 蛋白質の証明(Ⅱ) | ||||
1950 | 昭和25年10月 | Girard試1薬について | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 地方通信欄 | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 新製品ニコチン定量用ケイタングステン酸 | ||||
1950 | 昭和25年10月 | 赤表紙カタログ改正価格表 | ||||
1951 | 4 | 昭和26年4月 | 関東化学の進むべき道 | 野澤 清人 | 関東化学株式会社 社長 | |
1951 | 昭和26年4月 | 有機試薬解説(2) | 内藤 多喜夫 | 名古屋薬科大学 学長 | ||
1951 | 昭和26年4月 | 新製品解説 硫酸ヒドラジン | ||||
1951 | 昭和26年4月 | Dilitursaureについて | 久保 忠道 | 明治薬科大学 教授 | ||
1951 | 昭和26年4月 | JIS規格 塩化カリウム | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 地方通信欄 | ||||
1951 | 昭和26年4月 | オスミン酸の用途について | ||||
1951 | 昭和26年4月 | Table of organic Dyes & Indicators No.2. | ||||
1951 | 昭和26年4月 | pH Test Thread | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 工場便り | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 旭東アミノ酸・ニューMG液・PM | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 特殊試薬・官封試薬 | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 代理店・特約店 | ||||
1951 | 昭和26年4月 | 編集後記 | ||||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | pH Indicators & 0rganic Dyes | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 天然色写真は超微の合成化学である | 長口 官吉 | 天然色写真株式会社 社長 | |
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 試薬業の解剖(三) | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | Schwarzenbach法による簡単Ca,Mgの定量法 | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 外国製試薬の純度 | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 試薬アルコール | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | E T Aによる水の硬度測定 | 水谷 三郎 | 東京化成エ株式会社 技師長 | |
1951 | 5 | 昭和26年8月 | E T Aの使用法 | 阪本 秀策 | 東京大学 医学部 薬学博士 | |
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 鹿印異聞(一) 鹿印の品切れ | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 新検水試薬 ETA-0NE | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | P.M.一Solution(リンカン) | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 地方通信欄 | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 工場便り | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 第2回日本工業規格試薬説明会 | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 鹿印異聞(三) 舶来品より鹿印を | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 試薬規格書内容 | |||
1951 | 5 | 昭和26年8月 | 編集後記 | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 特殊試薬の生まれるまで | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 燐酸と共存する硅酸の比色定量法 | 加藤 多喜雄 沖中 裕 |
東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1951 | 6 | 昭和26年12月 | pHの測り方 | 飯島 俊一郎 | 東京教育大学 教授 理学博士 | |
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 天然色写真は超微の合成化学である(2) | 長口 官吉 | 天然色写真株式会社 社長 | |
1951 | 6 | 昭和26年12月 | Tetrahydoxy quinone Disodium SaltによるSO4の定量分析予報 | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 日本工業規格 エチルアルコール | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 試薬業の解剖(四) | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 日本分析化学会について | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 試薬エチルアルコール中のケトン,iso-プロピルアルコール,ブチルアルコール(第三)の検出について | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 本社屋移転 | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 斯波之茂博士入社さる | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 地方通信欄 | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 鹿印異聞 (3),(4),(5) | |||
1951 | 6 | 昭和26年12月 | 編集後記 | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | Fine chemicals | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 試薬購入の新しい問題 | 野澤 清人 | 関東化学株式会社 社長 | |
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 日本分析化学会の創立を祝す | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 試薬製造業に品質管理の適用 | 石田 重雄 | 関東化学株式会社 王子工場長 理学博士 | |
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 試薬随想 | 花岡 薫 | ||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 乳製品中の微量2,4-Dの定量 | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | Cicaマークの由来 | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 有機試薬雑記帳 | 思見 感生 | ||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 新検水試薬ETAの力価測定について | 水谷 三郎 | 東京化成エ株式会社 技師長 | |
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 工場便り | |||
1952 | 7 | 昭和27年3月 | 編集後記 | |||
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 新製品解説 | |||
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 猪苗代湖附近毒水調査 | 加藤 多喜雄 | 東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1952 | 8 | 昭和27年4月 | Arndt-Eistert合成法 | |||
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 酒の酔と試薬 | |||
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 加熱を要しない簡易迅速糖定量試薬(シノテスト1号) | 篠原 亀之輔 | 薬学博士,米国薬学博士,米国理学博士 | |
1952 | 8 | 昭和27年4月 | Lithium Alumimum Hydride | S.M.生 | 有機会会員 | |
1952 | 8 | 昭和27年4月 | TetrahydroxyquinoneによるS04の定量(第1報) | 榊田 雄三 | 関東化学株式会社 研究部 | |
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 地方通信欄 | |||
1952 | 8 | 昭和27年4月 | 日本工業規格 塩化ナトリウム | |||
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 試薬常識 | |||
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 医薬品一般試験方法 | 長澤 佳熊 | 国立衛生試験所 研究部長 薬学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 分析試薬としてのPhenylthiosemicarbazidについて | 内藤 多喜夫 | 名古屋薬科大学 学長 薬学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 簡易迅速糖定量試験試薬(シノテスト2号) | 篠原 亀之輔 | 薬学博士,米国薬学博士,米国理学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | Xy1ene Cyanole FF の利用 | 加藤 多喜雄 | 東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | ETAによる水の硬度滴定 | 阪本 秀策 | 東京大学 医学部 薬学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | ETAの輝ける功績 | 水谷 三郎 | 東京化成エ株式会社 技師長 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | Friedel-Craft反応による芳香族化合物のAlkyl化 | 石田 重雄 | 関東化学株式会社 王子工場長 理学博士 | |
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 日本工業規格 塩化アンモニウム(試薬) | |||
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 工場便り | |||
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 地方通信欄 | |||
1952 | 9 | 昭和27年10月 | 万国原子量表 | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 製品紹介 | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | ETA法の指示薬Murexideの使用について | 木羽 敏泰 | 金沢大学 理学部 理学博士 | |
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 日本国有鉄道官罐用水硬度測定法 | 石田 重雄 | 関東化学株式会社 王子工場長 理学博士 | |
1953 | 10 | 昭和28年5月 | ETA“Complete”Set | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 最近のACS規格とJIS規格(1) | 斯波 之茂 | 関東化学株式会社 理学博士 | |
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 穀粒に対するNew M・G染色法について | 谷達 雄他 | 農林省 食糖研究所 | |
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 試薬規格書No.2紹介 | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | Hofmann反応によるアミンの合成 | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 鹿規格 | |||
1953 | 10 | 昭和28年5月 | 編集後記 | |||
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 有機試薬入庫案内 | |||
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 塩のCa,Mgの迅速容量定量法 | 岡宗 次郎他 | 東京大学生 生産技術研究所 工学博士 | |
1953 | 11 | 昭和28年9月 | ニンヒドリンの使用法 | 内藤 多喜夫 | 名古屋薬科大学 学長 薬学博士 | |
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 雨のふるさとをたずねて-雨の成分 | 三宅 泰雄 | 気象研究所 理学博士 | |
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 人工降雨 | 宮原 茂悦 | 東京電力株式会社 給電課 | |
1953 | 11 | 昭和28年9月 | Fries転位 | 石田 重雄 | 関東化学株式会社 王子工場長 理学博士 | |
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 光電比色用試薬 No.1金属地金編 | |||
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 鹿規格II | |||
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 地方便り | |||
1953 | 11 | 昭和28年9月 | 便利な温度換算表 | |||
1954 | 12 | 昭和29年4月 | 鹿印試薬紹介 | |||
1954 | 12 | 昭和29年4月 | 質量分析法と不純物の検出 | 荒木 峻 | 東京大学生 工学部 助教授 | |
1954 | 12 | 昭和29年4月 | 定容器の検定と体積の温度補正 | 加藤 多喜雄 沢谷 次男 |
東北大学 工学部 教授 理学博士 東北大学 工学部 助教授 理学博士 |
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1954 | 12 | 昭和29年4月 | カルボニル基よりメチレン基への還元 | 石田 重雄 | 関東化学株式会社 王子工場長 理学博士 | |
1954 | 12 | 昭和29年4月 | 鹿規格Ⅲ | |||
1954 | 12 | 昭和29年4月 | 万国原子量表 | |||
1954 | 13 | 昭和29年6月 | 特殊試薬 | |||
1954 | 13 | 昭和29年6月 | 水中における腐蝕抑制剤の防蝕効果とその実用性 | 重野 隼太 | 東京工業試験所 第四部 | |
1954 | 13 | 昭和29年6月 | ポーラログラフ用溶媒としてのジオキサンについて | 丸山 正生 | 東京大学生 工学部 工業分析化学教室 | |
1954 | 13 | 昭和29年6月 | 定容器の検定と体積の温度補正(続) | 加藤 多喜雄 | 東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1954 | 13 | 昭和29年6月 | 鹿規格Ⅳ | |||
1954 | 13 | 昭和29年6月 | 果実成熟促進剤 | |||
1954 | 14 | 昭和29年8月 | 特殊試薬 No.4 | |||
1954 | 14 | 昭和29年8月 | フェニルフルオロンによるGeの比色定量 | 馬場 英夫 | 電気通信研究所 | |
1954 | 14 | 昭和29年8月 | 貴金属類の有機試薬チオミヒラーケトン | 坂口 武一 田口 清水 |
千葉大学 薬学部 | |
1954 | 14 | 昭和29年8月 | 覚せいアミン剤の検出法 | 長澤 佳熊 | 国立衛生試験所 研究部長 薬学博士 | |
1954 | 14 | 昭和29年8月 | ハルミンの合成について | 水谷 三郎 | 有機会会員 | |
1954 | 14 | 昭和29年8月 | 鹿規格Ⅴ | |||
1954 | 14 | 昭和29年8月 | 濃度・規定度 比重表(I) | |||
1955 | 15 | 昭和30年6月 | 特殊試薬 No.5 | |||
1955 | 15 | 昭和30年6月 | ロジゾン酸ナトリウム或はテトラハイドロキシキノン試験紙を用いる硫酸根の迅速定量方法 | 向山 朝之 | 山梨大学 工学部 | |
1955 | 15 | 昭和30年6月 | リン酸塩について | 加藤 多喜雄 | 東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1955 | 15 | 昭和30年6月 | 有機試薬解説(その1) α-Benzoinoxime | |||
1955 | 15 | 昭和30年6月 | 鹿規格Ⅵ | |||
1955 | 15 | 昭和30年6月 | 濃度・規定度・比重表(II) | |||
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 特殊試薬 No.6 | |||
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 生体内甲状腺ホルモンの定量法について | 中野 稔 | 群馬大学 内科 野口病院 甲状腺研究所 | |
1955 | 16 | 昭和30年11月 | JIS試薬のヒ素試験方法 | 斯波 之茂 | 関東化学株式会社 試験部長 理学博士 | |
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 新しいETAセット | 榊田 雄三 | 関東化学株式会社 試験部 | |
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 鹿規格Ⅶ | |||
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 標準実験試薬セット | |||
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 有機試薬解説 (その2) 2,4-Dinitmfluorobenzene | |||
1955 | 16 | 昭和30年11月 | 関東便り | |||
1956 | 17 | 昭和31年7月 | 輸入試薬 | |||
1956 | 17 | 昭和31年7月 | ジアセチルモノオキシムによる尿素定量 | 浦久保 五郎 | 国立衛生試験所 | |
1956 | 17 | 昭和31年7月 | “規格事始め” | 渡辺 正樹 | ||
1956 | 17 | 昭和31年7月 | アンスル消火器に就いて | 下坂 実 | 東京都立大学 教授 | |
1956 | 17 | 昭和31年7月 | 新原子量 | |||
1956 | 17 | 昭和31年7月 | 七年目のシベリア | 野澤 清人 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1956 | 17 | 昭和31年7月 | 飲料水現場簡易試験法 | |||
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 輸入試薬 | |||
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 液安を使用する有機化合物中のハロゲン定量法 | 下 光太郎 | 防衛大学校 教授 理学博士 | |
1956 | 18 | 昭和31年11月 | ビキニ調査こぼれ話 | 浦久保 五郎 | 国立衛生試験所 | |
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 工業薬品原単位表Ⅰ | |||
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 穀粒に対する新M・G染色法について | 谷 達雄 竹生 新治郎 鹿野 忠雄 |
穀類貯蔵加工部 | |
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 毒物劇物一覧表 | |||
1956 | 18 | 昭和31年11月 | 新原子量表 | |||
1957 | 19 | 昭和32年3月 | 輸入試薬 | |||
1957 | 19 | 昭和32年3月 | チュッコスロバキアの試薬規格 I | 奥野 久輝 | 立教大学 理学部 | |
1957 | 19 | 昭和32年3月 | 質量スペクトルによる試薬の分析 | 荒木 峻 | 東京大学生 工学部 | |
1957 | 19 | 昭和32年3月 | 唾液は才能を示す | 中邨 一夫 | 東京都立竹早高等学校 | |
1957 | 19 | 昭和32年3月 | 工業薬品原単位表 Ⅱ | |||
1957 | 19 | 昭和32年3月 | 石油化学工業系統図 | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | 輸入試薬 | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | クロマトストリップのRf値について | 山本 毅 古川 徹 松倉 三二 |
広島大学 教育学部 福山分校 化学教室 | |
1957 | 20 | 昭和32年6月 | Octy1gallateおよびDodecyl gallateのビタミンA酸化防止効力 | 吉田 正信 清水 常一 |
河合研究所 農学博士 工学士 |
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1957 | 20 | 昭和32年6月 | アセチレン工業系統図 | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | 元素周期率表 | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | 色素用途集 Ⅰ | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | 工業薬品原単位表 Ⅲ | |||
1957 | 20 | 昭和32年6月 | 分析資料 Ⅰ | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 輸入試薬 | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 血清中の鉄の定量法 | 梅本 春次 | 岡山大学 温泉研究所 | |
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 鹿規格Ⅶ | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 食品添加物解説 | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 鹿規格Ⅷ | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 鉄鋼類押湯保温剤アルジェン | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | K K K規定液 | |||
1958 | 21 | 昭和33年3月 | 顕微鏡用色素用途集Ⅱ | |||
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 輸入試薬 | |||
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 腸内細菌の分離培養と血清学的同定 | 長木 大三 | 北里研究所 医学博士 | |
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 北里研究所製品一覧表 | |||
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 水質検査を対象とする微量成分の分析 | 加藤 多喜雄 | 東北大学 工学部 教授 理学博士 | |
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 人工降雨 | 上之門 典郎 | 東京電力株式会社 | |
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 各国試薬純度比較表 | |||
1958 | 22 | 昭和33年22月 | ガスクロマト用試薬案内 | |||
1958 | 22 | 昭和33年22月 | 編集後記 | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 生化学試薬とスペクトル用希土類試薬 | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 関東化学株式会社 大塚社長挨拶 | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 工業塩中ナトリウムの定量について | 河村 文一 | 横浜国立大学 工学部 教授 理学博士 | |
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 糖のリン酸エステル(Ⅰ) | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 有機試薬解説 | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | センダクロムA L アルミニウム定量試薬 | |||
1960 | 23 | 昭和35年2月 | 第7版カタログ追加訂正表 No.1 | |||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | 試薬案内 | |||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | 糖リン酸エステルとエネルギー代謝(Ⅱ) | |||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | 最近のJIS試薬規格 | 斯波 之茂 | ||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | 顕微鏡用色素用途集Ⅲ | |||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | センダクロム AL | |||
1960 | 24 | 昭和35年10月 | 第7版赤表紙カタログ正誤表 No.2 | |||
1961 | 25 | 昭和36年6月 | 試薬案内 | |||
1961 | 25 | 昭和36年6月 | 日本工業規格試薬一覧表 | |||
1961 | 25 | 昭和36年6月 | 純分および不純物の試験方法 | |||
1961 | 25 | 昭和36年6月 | 試薬各国規格表 | |||
1962 | 26 | 昭和37年10月 | ポリエチレン表面の137Csによる汚染とその除去 | 水池 敦 瀬田 重敏 |
東京大学 工学部 工学博士 | |
1962 | 26 | 昭和37年10月 | 試薬によるキノコの分類法 | 稲垣 清二郎 | 明治薬科大学 前教授 | |
1962 | 26 | 昭和37年10月 | 試薬の経済性に就いて | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 常務取締役 工場長 | |
1962 | 26 | 昭和37年10月 | 関東化学便り | |||
1962 | 26 | 昭和37年10月 | パークロルエチレンによる金属洗浄について | |||
1962 | 26 | 昭和37年10月 | JIS試薬の追加品目 | |||
1962 | 26 | 昭和37年10月 | 西尾工業、高千穂化学工業両社製品紹介 | |||
1963 | 27 | 昭和38年1月 | 工業分析化学随説(Ⅰ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1963 | 27 | 昭和38年1月 | 蛇毒とその酵素(Ⅰ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1963 | 27 | 昭和38年1月 | Killiani反応によるCholesterol定量用硫酸の純度およびその対策 | 坂本 雅是 中村 定男 |
愛知県津島市民病院 中央検査室 | |
1963 | 27 | 昭和38年1月 | ノーベル賞者ものがたり(1) | 橋爪 檳榔子 | 明治薬科大学 講師 | |
1963 | 27 | 昭和38年1月 | アゼライン酸、カプロン酸、ペラルゴン酸 | 東洋高圧工業株式会社 油脂開発室 | ||
1963 | 28 | 昭和38年4月 | 工業分析化学随説(Ⅱ) −ジチゾンの概想(1)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1963 | 28 | 昭和38年4月 | 蛇毒とその酵素(Ⅱ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1963 | 28 | 昭和38年4月 | Mercaptanの合成とその用途 | 板橋 国夫 | 日本大学 理工学部 | |
1963 | 28 | 昭和38年4月 | ケイ光分析(1) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1963 | 28 | 昭和38年4月 | ノーベル賞者ものがたり(2) | 橋爪 檳榔子 | 明治薬科大学 講師 | |
1963 | 28 | 昭和38年4月 | 思想の試薬 | 稲垣 清二郎 | ||
1963 | 28 | 昭和38年4月 | 臨床検査と硫酸の純度 | |||
1963 | 29 | 昭和38年7月 | 工業分析化学随説(Ⅱ) −ジチゾンの概想(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1963 | 29 | 昭和38年7月 | ヒトデの毒素とシダの蔵精器誘導物質 | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1963 | 29 | 昭和38年7月 | ケイ光分析(2) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1963 | 29 | 昭和38年7月 | トランスアミナーゼ測定に関する問題点 | 道免 聚二 篠原 護 |
札幌医科大学 産婦人科学教室 (主任教授 明石勝英) |
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1963 | 29 | 昭和38年7月 | スタンボード大学の一隅から | 大橋 守 | スタントド大学 研究室 理学博士 | |
1963 | 30 | 昭和38年11月 | 工業分析化学随説(Ⅲ) −抽出試薬としての有機リン酸化合物(1)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博 |
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1963 | 30 | 昭和38年11月 | 生命現象におけるS H | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1963 | 30 | 昭和38年11月 | ケイ光分析(3) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1963 | 30 | 昭和38年11月 | ミネラルと衛生 | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | 新年のご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | 工業分析化学随説(Ⅳ) −抽出試薬としての有機リン酸化合物(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1964 | 31 | 昭和39年1月 | ホタルの発光物質Luciferinの化学構造と合成 | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | 抗酸化剤としてのβ-ナフタリンチオール | 板橋 国夫 | 日本大学 理工学部 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | ラブ酵素レンニンの生化学的意義 | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | ノーベル賞者ものがたり(3) ビタミン研究のハワースとカーラー(遺稿) |
橋爪 檳榔子 | 明治薬科大学 講師 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | アニース酸による麹菌分生子の紅変現象 | 黒澤 雄一郎 | 立正学園女子短大 教授 理学博士 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | アミノ酸醗酵(1) | 志村 憲助 | 東北大学 教授 農学博士 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | スタンボード大学の一隅から(続) | 大橋 守 | 理学博士 | |
1964 | 31 | 昭和39年1月 | 編集後記 | |||
1964 | 32 | 昭和39年4月 | 工業分析化学随説(Ⅴ) −抽出試薬としての有機リン酸化合物(3)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1964 | 32 | 昭和39年4月 | アミノ酸醗酵(2) | 志村 憲助 | 東北大学 教授 農学博士 | |
1964 | 32 | 昭和39年4月 | ケイ光分析(4) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1964 | 32 | 昭和39年4月 | Preparations Merck for Thin Layer Chromatography | |||
1964 | 32 | 昭和39年4月 | 編集後記 | |||
1964 | 33 | 昭和39年7月 | 工業分析化学随説(Ⅵ) −抽出試薬としての有機リン酸化合物(4)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1964 | 33 | 昭和39年7月 | 含窒素共役系ジエンのDiels-Alder反応(1) | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1964 | 33 | 昭和39年7月 | 染色による生死判別 | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1964 | 33 | 昭和39年7月 | JIS試薬の追加品目 | |||
1964 | 33 | 昭和39年7月 | 編集後記 | |||
1964 | 34 | 昭和39年10月 | 日本人におけるRh式・Kidd式血液型およびPrivate・Public 抗原の頻度につい | 古畑 種基 中島 八良 池本 卯典 永田 秀男 |
科学警察研究所長 医学博士 東京大学名誉教授 学士院会員 東京医科歯科大学 医学部 講師 医学博士 科学警察研究所 研究官 科学捜査部法医研究室 医学博士 元科学警察研究所 研究官 科学捜査部法医研究室 |
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1964 | 34 | 昭和39年10月 | 転移酵素について | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1964 | 34 | 昭和39年10月 | 含窒素共役系シェンのDiels-Alder反応(Ⅱ) | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 年頭のご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 工業分析化学随説(Ⅶ) −抽出反応における協同効果(1)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1965 | 35 | 昭和40年1月 | 日本人におけるMNSs・KeLL式血液型の頻度について | 古畑 忠輝 ほか | 財団法人 緑風病院 産婦人科 医長 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 医人の立場から(Ⅰ) | 佐々 貫之 | 聞東逓信病院長 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | コレステロール定量用濃硫酸使用による血清総コレステロールの定量 | 永井 諄爾 ほか | 九州大学 医学部 助教授 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 含窒素共役系シェンのDiels-Alder反応(Ⅲ) | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 原子吸光分光分析法(Ⅰ) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 有機合成に於ける微生物の利用 | 黒澤 雄一郎 | 立正学園女子短大 教授 理学博士 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 細胞内における分子のオリエンテーション(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 生体内炭水化物の相互変移(Ⅰ) −炭水化物・脂肪蛋白質の関係− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | アメリカの学生 | 野澤 俊太郎 | 関東化学株式会社 企画課 | |
1965 | 35 | 昭和40年1月 | アンケートについて | |||
1965 | 35 | 昭和40年1月 | 編集後記 | |||
1965 | 36 | 昭和40年4月 | 工業分析化学随説(Ⅶ) −抽出反応における協同効果(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1965 | 36 | 昭和40年4月 | 医人の立場から(Ⅱ) | 佐々 貫之 | 聞東逓信病院長 | |
1965 | 36 | 昭和40年4月 | 生体内炭水化物の相互変移(Ⅱ) −炭水化物・脂肪蛋白質の関係− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1965 | 36 | 昭和40年4月 | 細胞内における分子のオリエンテーション(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1965 | 36 | 昭和40年4月 | 原子吸光分光分析法(Ⅱ) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1965 | 36 | 昭和40年4月 | 編集後記 | |||
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 工業分析化学随説(Ⅸ) −抽出反応における協同効果(3)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1965 | 37 | 昭和40年7月 | 血圧症の医学知識(1) | 佐々 貫之 | 聞東逓信病院長 | |
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 最近の“降雨"の研究から −氷晶核となる有機物等について− |
山下 晃 | 東京大学 理学部 地球物理教室 | |
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 関東化学製NADH試薬を用いる血清乳酸脱水素酵素(LDH)活性測定に関する検討成績 | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部生化学部門 主任助教授 医学・理学博士 | |
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 薬物代謝(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室 警察庁技官 医学博士 | |
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 原子吸光分光分析法(Ⅲ) | 坪川 忠 | 東京都 衛生局 薬務部 技師 | |
1965 | 37 | 昭和40年7月 | 編集後記 | |||
1965 | 38 | 昭和40年10月 | 工業分析化学随説(Ⅹ) −溶媒抽出法における溶媒(1)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1965 | 38 | 昭和40年10月 | 血圧症の医学知識(2) | 佐々 貫之 | 聞東逓信病院長 | |
1965 | 38 | 昭和40年10月 | 血清Transaminase活性測定キット「ESGOT」の使用経験について | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部生化学部門 主任助教授 医学・理学博士 | |
1965 | 38 | 昭和40年10月 | アクチノマイシンDの化学と生物.学(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1965 | 38 | 昭和40年10月 | 薬物代謝(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室 警察庁技官 医学博士 | |
1965 | 38 | 昭和40年10月 | 茶の間のお菊さん | 園江 稔 | 昭和大学病院 歯科医長 医学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | 年頭のご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅠ) −溶媒抽出法における溶媒(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1966 | 39 | 昭和41年1月 | o-Toluidine硼酸試薬による血糖の迅速微量測定法 | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部生化学部門 主任助教授 医学・理学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | 薬物代謝(Ⅲ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室 警察庁技官 医学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | 末摘花 | 園江 稔 | 昭和大学病院 歯科医長 医学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | 制癌アルキル化剤とその定量法(Ⅰ) | 丸山 幸三 | 明治薬科大学 薬学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | アクチノマイシンDの化学と生物.学(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | アメリカ国立標準局(N B S)を訪れて | 根本 美明 | 関東化学株式会社 草加工場 検査部長 | |
1966 | 39 | 昭和41年1月 | トリコロミン酸とイポテン酸の化学 | 竹本 常松 | 東北大学 医学部 教授 薬学博士 | |
1966 | 40 | 昭和41年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅡ) −ジチゾンおよびその誘導体(1)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1966 | 40 | 昭和41年4月 | トリコロミン酸とイポテン酸の化学(Ⅱ) | 竹本 常松 | 東北大学 医学部 教授 薬学博士 | |
1966 | 40 | 昭和41年4月 | 有機化合物の質量スペクトル(Ⅰ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1966 | 40 | 昭和41年4月 | 制癌アルキル化剤とその定量法(Ⅱ) | 丸山 幸三 | 明治薬科大学 薬学博士 | |
1966 | 41 | 昭和41年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅢ) −ジチゾンおよびその誘導体(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1966 | 41 | 昭和41年7月 | 有機化合物の質量スペクトル(Ⅱ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1966 | 41 | 昭和41年7月 | 薬物代謝(Ⅳ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室 警察庁技官 医学博士 | |
1966 | 41 | 昭和41年7月 | フィリッビン雑感 | 矢部 了 | 科学技術庁研究調整局総合研究課 | |
1966 | 42 | 昭和41年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅣ) −有機水銀化合物の分析法について− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学 教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1966 | 42 | 昭和41年10月 | 農薬中毒と白米中毒(Ⅰ) | 田阪 定孝 | 東京大学前教授(内科学) 国立熱海病院長 医学博士 国立ガンセンター顧問 | |
1966 | 42 | 昭和41年10月 | 核酸を中心とした酵素の考え方(Ⅰ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1966 | 42 | 昭和41年10月 | 人工降雨のための発煙滅から発生した沃化銀エエロゾルの結晶構造および氷晶形成能力に関する研究 | 小野 晃 石原 一成 |
東京大学 理学部 地球物理教室 東京電力株式会社 技術研究所 |
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1967 | 43 | 昭和42年1月 | 年頭のご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 農薬中毒と白米中毒(Ⅱ) | 田阪 定孝 | 東京大学前教授(内科学) 国立熱海病院長 医学博士 国立ガンセンター顧問 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 核酸を中心とした酵素の考え方(Ⅱ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 犯罪と分析化学(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 血清アルカリポスファターゼーの迅速測定法 | 大森 昭三 渡辺 章子 |
東京逓信病院 臨床検査科 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 物理的測定法による有機化合物の構造解析法入門(Ⅰ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | 原子吸光分析における衛生化学への応用(Ⅰ) | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 化学部長 薬剤師 医学博士 | |
1967 | 43 | 昭和42年1月 | ステロイドホルモン以外のステロイド化合物の薬効について | 黒澤 雄一郎 | 立正学園女子短期大学 教授 理学博士 | |
1967 | 44 | 昭和42年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅤ) −電荷移動錯体生成反応の平衡定数測定法について(1) − |
藤多 喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1967 | 44 | 昭和42年4月 | 原子吸光分析における衛生化学への応用(Ⅱ) | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 化学部長 薬剤師 医学博士 | |
1967 | 44 | 昭和42年4月 | 物理的測定法による有機化合物の構造解析法入門(Ⅱ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1967 | 44 | 昭和42年4月 | 犯罪と分析化学(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1967 | 44 | 昭和42年4月 | 核酸を中心とした酵素の考え方(Ⅲ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 薬学博士 | |
1967 | 45 | 昭和42年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅥ) −電荷移動錯体生成反応の平衡定数測定法について(2) − |
藤多 喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 東北大学 助教授 理学博士 |
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1967 | 45 | 昭和42年7月 | 物理的測定法による有機化合物の構造解析法入門(Ⅲ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1967 | 45 | 昭和42年7月 | 遺伝子論の発展(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1967 | 45 | 昭和42年7月 | 犯罪と分析化学(Ⅲ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1967 | 46 | 昭和42年10月 | 物理的測定法による有機化合物の構造解析法入門(Ⅳ) | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1967 | 46 | 昭和42年10月 | 遺伝子論の発展(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 助教授 理学博士 | |
1967 | 46 | 昭和42年10月 | 犯罪と分析化学(Ⅳ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1967 | 46 | 昭和42年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅦ) −有機金属化合物の無機化学的挙動(1) − |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1968 | 47 | 昭和43年1月 | 年頭のご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1968 | 47 | 昭和43年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅧ) −有機金属化合物の無機化学的挙動(2) − |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1968 | 47 | 昭和43年1月 | 呼べばこたえる細菌 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学科 教授 理学博士 | |
1968 | 47 | 昭和43年1月 | 犯罪と分析化学(Ⅴ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室 警察庁技官 医学博士 | |
1968 | 47 | 昭和43年1月 | ハーバード・オタワ両大学留学記 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 講師 理学博士 | |
1968 | 47 | 昭和43年1月 | アメリカの試薬会社を訪ねて | 野澤 俊太郎 平井 洋一 |
関東化学株式会社 | |
1968 | 47 | 昭和43年1月 | 猿の骨 | 園江 稔 | 昭和大学病院 歯科医長 医学博士 | |
1968 | 48 | 昭和43年4月 | 公害問題の考え方 | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1968 | 48 | 昭和43年4月 | 有機光化学反応(Ⅰ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 講師 理学博士 | |
1968 | 48 | 昭和43年4月 | 犯罪と分析化学(Ⅵ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1968 | 48 | 昭和43年4月 | 英国シェフィールド大学留学記(Ⅰ) | 渡辺 素子 | 東京教育大学 理学部 化学科 薬学博士 | |
1968 | 48 | 昭和43年4月 | 有極性自然観(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学科 教授 理学博士 | |
1968 | 49 | 昭和43年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅨ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1968 | 49 | 昭和43年7月 | 有極性自然観(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学科 教授 理学博士 | |
1968 | 49 | 昭和43年7月 | 有機光化学反応(Ⅱ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 講師 理学博士 | |
1968 | 49 | 昭和43年7月 | 犯罪と分析化学(Ⅶ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1968 | 49 | 昭和43年7月 | 英国シェフィールド大学留学記(Ⅱ) | 渡辺 素子 | 東京教育大学 理学部 化学科 薬学博士 | |
1968 | 50 | 昭和43年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1968 | 50 | 昭和43年10月 | 有機光化学反応(Ⅲ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 講師 理学博士 | |
1968 | 50 | 昭和43年10月 | 犯罪と分析化学(Ⅷ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1968 | 50 | 昭和43年10月 | Hi-Fi マニア | S 生 | ||
1968 | 50 | 昭和43年10月 | 編集後記 | |||
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 年頭のあいさつ | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 社長 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅠ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1969 | 51 | 昭和44年1月 | 昆虫の幼若ホルモンと変態ホルモン | 大橋 守 | 東京教育大学 理学部 理学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 現代遺伝学とその未来(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学科 教授 理学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 犯罪と分析化学(Ⅸ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 頭髪を語る | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 医学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | ニワトリばなし | 園江 稔 | 昭和大学病院 歯科医長 医学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 尿中17-Oxosteroids 測定法の研究(Ⅰ) | 神戸川 明 | 帝国臓器製薬株式会社 薬理研究部 主任研究員 医学博士 | |
1969 | 51 | 昭和44年1月 | 編集後記 | |||
1969 | 52 | 昭和44年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅡ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1969 | 52 | 昭和44年4月 | 現代遺伝学とその未来(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学科 教授 理学博士 | |
1969 | 52 | 昭和44年4月 | 植物中に含有される幻覚成分について(Ⅰ) −Ololiuqui 中のリゼルグ酸アルカロイドについて− |
丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1969 | 52 | 昭和44年4月 | 尿中17-Oxosteroids 測定法の研究(Ⅱ) | 神戸川 明 | 帝国臓器製薬株式会社 薬理研究部 主任研究員 医学博士 | |
1969 | 52 | 昭和44年4月 | ETH留学記 | 山田 和俊 | 千葉大学 工学部 合成化学科 助教授 理学博士 | |
1969 | 52 | 昭和44年4月 | 編集後記 | |||
1969 | 53 | 昭和44年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅢ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1969 | 53 | 昭和44年7月 | 植物中に含有される幻覚成分について(Ⅱ) −ひるがお科植物、特に朝顔種子中に含まれるリゼルグ酸およびクラビンアルカロイドについて− |
丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1969 | 53 | 昭和44年7月 | 血糖の迅速微量測定法 −o-Toluidine硼酸法に関する最近の話題− |
佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部生化学部門 主任助教授 医学・理学博士 | |
1969 | 53 | 昭和44年7月 | 品質管理とオートメーション | S 生 | ||
1969 | 53 | 昭和44年7月 | 編集後記 | |||
1969 | 54 | 昭和44年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅣ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1969 | 54 | 昭和44年10月 | 植物中に含有される幻覚成分について(Ⅲ) −サボテン中のメスカリンについて− |
丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1969 | 54 | 昭和44年10月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅰ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 | |
1969 | 54 | 昭和44年10月 | ホルモン検査法 | 神戸川 明 | 帝国臓器製薬株式会社 薬理研究部 主任研究員 医学博士 | |
1969 | 54 | 昭和44年10月 | 開発とタイミング | S 生 | ||
1969 | 54 | 昭和44年10月 | 編集後記 | |||
1970 | 55 | 昭和45年1月 | ご挨拶 | 大塚 内蔵 | 関東化学株式会社 取締役会長 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 年頭のあいさつ | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 温故知新 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅤ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1970 | 55 | 昭和45年1月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅱ) | 涌井 袈裟参 黒河 富子 |
星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 |
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1970 | 55 | 昭和45年1月 | 植物中に含有される幻覚成分について(Ⅳ) −きのこ中のPsilocybinについて− |
丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 主任研究官 医学博士 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 有機合成に於ける微生物の利用(第2報) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | フラボノイド化学の最近の動向(1) −1967~1969− |
山田 和俊 滝沢 靖臣 |
千葉大学 工学部 合成化学科 助教授 理学博士 東京教育大学 理学部 化学科 農学博士 |
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1970 | 55 | 昭和45年1月 | Cambodiaでの思い出(1) | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部 医学博士 理学博士 | |
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 製造環境と静浄度 | ”S” | ||
1970 | 55 | 昭和45年1月 | 編集後記 | |||
1970 | 56 | 昭和45年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅥ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1970 | 56 | 昭和45年4月 | 細胞学における蛍光物質の利用(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 教授 理学博士 | |
1970 | 56 | 昭和45年4月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅲ) | 涌井 袈裟参 黒河 富子 |
星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 |
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1970 | 56 | 昭和45年4月 | フラボノイド化学の最近の動向(2) −1967~1969− |
山田 和俊 滝沢 靖臣 |
千葉大学 工学部 合成化学科 助教授 理学博士 東京教育大学 理学部 化学科 農学博士 |
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1970 | 56 | 昭和45年4月 | Cambodiaでの思い出(2) | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部 医学博士 理学博士 | |
1970 | 56 | 昭和45年4月 | 半導体装置の製作工程の汚れと薬品(1) | 小野 員正 | 電気通信研究所 集積加工研究室 室長 | |
1970 | 56 | 昭和45年4月 | 有機合成に於ける微生物の利用(第3報) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1970 | 57 | 昭和45年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅦ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1970 | 57 | 昭和45年7月 | 細胞学における蛍光物質の利用(2) | 中澤 信午 | 山形大学 教授 理学博士 | |
1970 | 57 | 昭和45年7月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅳ) | 涌井 袈裟参 黒河 富子 |
星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 |
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1970 | 57 | 昭和45年7月 | Cambodiaでの思い出(3) | 佐々木 貞一 | 札幌医科大学付属病院中央検査部 医学博士 理学博士 | |
1970 | 57 | 昭和45年7月 | 半導体装置の製作工程の汚れと薬品(2) | 小野 員正 | 電気通信研究所 集積加工研究室 室長 | |
1970 | 57 | 昭和45年7月 | フラボノイド化学の最近の動向(3) −1967~1969− |
山田 和俊 滝沢 靖臣 |
千葉大学 工学部 合成化学科 助教授 理学博士 東京教育大学 理学部 化学科 農学博士 |
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1970 | 57 | 昭和45年7月 | 編集後記 | |||
1970 | 58 | 昭和45年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅧ) −イオン選択性電極(1) |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1970 | 58 | 昭和45年10月 | 細胞学における蛍光物質の利用(3) | 中澤 信午 | 山形大学 教授 理学博士 | |
1970 | 58 | 昭和45年10月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅴ) | 涌井 袈裟参 黒河 富子 |
星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 |
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1970 | 58 | 昭和45年10月 | フラボノイド化学の最近の動向(4) −1967~1969− |
山田 和俊 滝沢 靖臣 |
千葉大学 工学部 合成化学科 助教授 理学博士 東京教育大学 理学部 化学科 農学博士 |
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1970 | 58 | 昭和45年10月 | 衛生化学随説 | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 医学博士 | |
1970 | 58 | 昭和45年10月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅰ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 研究員 | |
1970 | 58 | 昭和45年10月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 年頭ご挨拶 | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 71年の試薬界の話題 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅨ) −イオン選択性電極(2)− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1971 | 59 | 昭和46年1月 | 食品添加物の効害とその代謝(Ⅵ) | 涌井 袈裟参 黒河 富子 |
星薬科大学 教授 衛生薬学科長 薬学博士 |
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1971 | 59 | 昭和46年1月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅱ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 研究員 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | いのしし小間切話 | 園江 稔 | 昭和大学病院 歯科医長 医学博士 | |
1971 | 59 | 昭和46年1月 | パイオニア精神 | ”S” | ||
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 草加工場だより | |||
1971 | 59 | 昭和46年1月 | 編集後記 | |||
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1971 | 60 | 昭和46年4月 | 人類を動かした植物(1) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 各種多糖体の展望(Ⅰ) −シタケ、イワタケ、クマササなどの多糖体と抗ガン作用− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 教授 衛生薬学科長 | |
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 電荷移動錯体と有機化学(1) | 大橋 守 吉野 彰 |
京都大学 工学部 石油化学教室 助教授 京都大学 工学部 石油化学教室 |
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1971 | 60 | 昭和46年4月 | 酵素阻害物質と医薬品(1) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅲ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅲ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 研究員 | |
1971 | 60 | 昭和46年4月 | 編集後記 | |||
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅠ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1971 | 61 | 昭和46年7月 | 人類を動かした植物(2) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 各種多糖体の展望(Ⅱ) −シタケ、イワタケ、クマササなどの多糖体と抗ガン作用− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 牛乳中の残留農薬汚染(Ⅰ) | 春田三佐夫 | 都立衛生研究所 乳肉衛生部長 医学博士 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 電荷移動錯体と有機化学(2) | 大橋 守 吉野 彰 |
京都大学 工学部 石油化学教室 助教授 京都大学 工学部 石油化学教室 |
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1971 | 61 | 昭和46年7月 | 酵素阻害物質と医薬品(2) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅳ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅳ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1971 | 61 | 昭和46年7月 | 編集後記 | |||
1971 | 62 | 昭和46年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅡ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1971 | 62 | 昭和46年10月 | 生命の不可逆性について | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1971 | 62 | 昭和46年10月 | 各種多糖体の展望(Ⅲ) −制ガン機序の考察− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1971 | 62 | 昭和46年10月 | 牛乳中の残留農薬汚染(Ⅱ) | 春田 三佐夫 | 都立衛生研究所 乳肉衛生部長 医学博士 | |
1971 | 62 | 昭和46年10月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅴ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 年頭ご挨拶 | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 不老不死と長寿 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅢ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1972 | 63 | 昭和47年1月 | 緑膿菌の生化学性状 | 桑原 章吾 | 東邦大学 教授 医学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 六年振りの渡米記 | 大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 各種多糖体の展望(Ⅳ) −制ガン機序の考察− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅵ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 新しいカルシウム代謝調節物質 −抽出と精製について− |
黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅴ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 試薬の検査について | 根本 美明 | 関東化学株式会社 草加工場 検査部長 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 生物学放談(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1972 | 63 | 昭和47年1月 | 編集後記 | |||
1972 | 64 | 昭和47年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅣ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1972 | 64 | 昭和47年4月 | 生物学放談(Ⅱ) −流れにさからう現象− |
中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1972 | 64 | 昭和47年4月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅶ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1972 | 64 | 昭和47年4月 | Vitamin化学の発達と歴史(1) | 日馬 長三郎 | 武田薬品工業株式会社 前学術部長 | |
1972 | 64 | 昭和47年4月 | 絵かきと絵のぐ | ”S” | ||
1972 | 64 | 昭和47年4月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅵ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1972 | 64 | 昭和47年4月 | 編集後記 | |||
1972 | 65 | 昭和47年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅤ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1972 | 65 | 昭和47年7月 | 海藻とヨウ素 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1972 | 65 | 昭和47年7月 | 各種多糖体の展望(1) −制がん関連物質の化学的構造考察− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1972 | 65 | 昭和47年7月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅷ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1972 | 65 | 昭和47年7月 | Vitamin化学の発達と歴史(2) | 日馬 長三郎 | 武田薬品工業株式会社 前学術部長 | |
1972 | 65 | 昭和47年7月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅶ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1972 | 65 | 昭和47年7月 | 編集後記 | |||
1972 | 66 | 昭和47年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅥ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1972 | 66 | 昭和47年10月 | 各種多糖体の展望(2) −制がん関連物質の化学的構造考察− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1972 | 66 | 昭和47年10月 | Vitamin化学の発達と歴史(3) | 日馬 長三郎 | 武田薬品工業株式会社 前学術部長 | |
1972 | 66 | 昭和47年10月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅷ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1972 | 66 | 昭和47年10月 | 幻覚剤LSD(Lysergic acid diethylamide)について(Ⅸ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1972 | 66 | 昭和47年10月 | 編集後記 | |||
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 年頭ご挨拶 | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 新春雑話 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅦ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1973 | 67 | 昭和48年1月 | NMRシフト試薬(Ⅰ) | 大橋 守 辻本 和雄 |
電気通信大学 教授 理学博士 電気通信大学 助手 |
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1973 | 67 | 昭和48年1月 | アナロジーの科学 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 月夜茸の毒および抗腫瘍成分illudin-s(lampterol)の研究 | 多田 愈 山田 泰司 |
早稲田大学 理工学部 一般化学室 助教授 理学博士 東京薬科大学 化学教室 助教授 理学博士 |
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1973 | 67 | 昭和48年1月 | 各種多糖体の展望(3) −制がん関連物質の化学的構造考察− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | PCBによる汚染 | 武田 明治 | 国立衛生試験所 食品第一室長 薬学博士 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 新しいカルシウム代謝調節物質(2報) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1973 | 67 | 昭和48年1月 | 編集後記 | |||
1973 | 68 | 昭和48年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅧ)NMRシフト試薬(Ⅱ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1973 | 68 | 昭和48年4月 | NMRシフト試薬(Ⅱ) | 大橋 守 辻本 和雄 |
電気通信大学 教授 理学博士 電気通信大学 助手 |
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1973 | 68 | 昭和48年4月 | チェコ・オーストリアの旅(1) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1973 | 68 | 昭和48年4月 | 幻覚剤について(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1973 | 68 | 昭和48年4月 | Vitamin化学の発達と歴史(4) | 日馬 長三郎 | 武田薬品工業株式会社 前学術部長 | |
1973 | 68 | 昭和48年4月 | 寒天の製造化学と物性(Ⅸ) | 松橋 鉄治郎 | 長野県食品工業試験場 食品第二部長 | |
1973 | 68 | 昭和48年4月 | Illudane関連テルペンの生合成と全合成 | 山田 泰司 多田 愈 |
東京薬科大学 化学教室 助教授 理学博士 早稲田大学 理工学部 一般化学室 助教授 理学博士 |
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1973 | 68 | 昭和48年4月 | 編集後記 | |||
1973 | 69 | 昭和48年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅨ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1973 | 69 | 昭和48年7月 | チェコ・オーストリアの旅(2) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1973 | 69 | 昭和48年7月 | 脂酸糖質の栄養生化学的意義(Ⅰ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1973 | 69 | 昭和48年7月 | 幻覚剤について(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1973 | 69 | 昭和48年7月 | Vitamin化学の発達と歴史(5) | 日馬 長三郎 | 武田薬品工業株式会社 前学術部長 | |
1973 | 69 | 昭和48年7月 | 編集後記 | |||
1973 | 70 | 昭和48年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1973 | 70 | 昭和48年10月 | ドイツの秋を行く | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1973 | 70 | 昭和48年10月 | 脂酸糖質の栄養生化学的意義(Ⅱ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1973 | 70 | 昭和48年10月 | 幻覚剤について(Ⅲ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1973 | 70 | 昭和48年10月 | 米国エール大学留学記 | 梶原 正宏 | 東北大学 薬学部 薬品製造学教室 | |
1973 | 70 | 昭和48年10月 | 編集後記 | |||
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 年頭ご挨拶 | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 長寿諸説 | 村山 義温 | 東京薬科大学 名誉教授 薬学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅠ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1974 | 71 | 昭和49年1月 | メンデル余話(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 −高速液体クロマトグラフィー− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 脂酸糖質の栄養生化学的意義(Ⅲ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | ビタミンB12およびそのモデル化合物の反応 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 幻覚剤について(Ⅳ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 有機合成に於ける微生物の利用(4) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | Vitamin B12の生合成研究(Ⅰ) | 梶原 正宏 | 東北大学 薬学部 薬品製造学教室 | |
1974 | 71 | 昭和49年1月 | 編集後記 | |||
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅡ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1974 | 72 | 昭和49年4月 | メンデル余話(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 (Ⅱ) −パルス・フーリエ変換NMR− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 麻薬および依存性薬物の化学分析に関する円卓会議に出席して(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 含窒素共役ジエンに対する環化付加反応(Ⅰ) | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | Vitamin B12の生合成研究(Ⅱ) | 梶原 正宏 | 東北大学 薬学部 薬品製造学教室 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 有機合成に於ける微生物の利用(5) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 関東化学創立30周年記念祝賀パーティー | |||
1974 | 72 | 昭和49年4月 | 編集後記 | |||
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅢ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1974 | 73 | 昭和49年7月 | メンデル余話(Ⅲ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 (Ⅲ) −13C−NMRスペクトロスコピー− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 麻薬および依存性薬物の化学分析に関する円卓会議に出席して(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 化学研究室長 医学博士 | |
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 含窒素共役ジエンに対する環化付加反応(Ⅱ) | 富松 祥郎 | 明治薬科大学 教授 薬学博士 | |
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 脂酸糖質の栄養生化学的意義(Ⅳ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1974 | 73 | 昭和49年7月 | 簡易試験紙による畜舎汚水体調菌群の測定について | 三橋 一男 土倉 道之 大野 芳昭 水田 秀朝 |
富山県西部家畜保健衛生所 検査課長 |
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1974 | 73 | 昭和49年7月 | 編集後記 | |||
1974 | 74 | 昭和49年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅣ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1974 | 74 | 昭和49年10月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 (Ⅳ) −13C−NMRの応用− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1974 | 74 | 昭和49年10月 | SE2(親電子二分子置換)反応の立体化学 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1974 | 74 | 昭和49年10月 | 幻覚剤について(Ⅴ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1974 | 74 | 昭和49年10月 | ミネラルの栄養生化学(1) −硝酸塩、亜硝酸塩、マグネシウム、珪酸、モリブデン− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1974 | 74 | 昭和49年10月 | 有機合成に於ける微生物の利用(6) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1974 | 74 | 昭和49年10月 | 薬化学の先駆者・長井長義(Ⅰ) | 根本 曽代子 | ||
1974 | 74 | 昭和49年10月 | 編集後記 | |||
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 年頭にあたって | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 正月と長寿 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅤ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1975 | 75 | 昭和50年1月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 (Ⅴ) −化学イオン化マススペクトロメトリー− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 酸素担体(可逆的酸素錯体) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 生物学の諸法則(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | ミネラルの栄養生化学(2) −硝酸塩、亜硝酸塩、マグネシウム、珪酸、モリブデン− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 有機合成に於ける微生物の利用(7) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 犯罪とにおいの分析(1) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 薬化学の先駆者・長井長義(Ⅱ) | 根本 曽代子 | ||
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 曝気式ラグーン法(L式活性汚泥法)による有機質排水処理(1) | 松橋 鉄治郎 | 長野県 食品工業試験場 食品第二部長 | |
1975 | 75 | 昭和50年1月 | 編集後記 | |||
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅥ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1975 | 76 | 昭和50年4月 | 有機化合物の構造決定法最近の話題 (Ⅵ) −FI・FDスペクトロメトリー− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 生物学の諸法則(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 犯罪とにおいの分析(2) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 無炎原子吸光分析における衛生化学への応用(Ⅰ) | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 化学部長 医学博士 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 曝気式ラグーン法(L式活性汚泥法)による有機質排水処理(2) | 松橋 鉄治郎 | 長野県 食品工業試験場 食品第二部長 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 薬化学の先駆者・柴田承桂(Ⅲ) | 根本 曽代子 | ||
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 炭素・ケイ素不飽和結合を含む化合物 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1975 | 76 | 昭和50年4月 | 編集後記 | |||
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅦ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1975 | 77 | 昭和50年7月 | 生物学の諸法則(Ⅲ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | ミネラルの栄養生化学(3) −硝酸塩、亜硝酸塩、マグネシウム、モリブデン、珪酸、カルシウム− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | カルバニオン型金属化合物を用いる最近の合成反応(Ⅰ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 犯罪とにおいの分析(3) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 無炎原子吸光分析における衛生化学への応用(Ⅱ) | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 化学部長 医学博士 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 薬化学の先駆者・下山順一郎(Ⅳ) | 根本 曽代子 | ||
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 曝気式ラグーン法(L式活性汚泥法)による有機質排水処理(3) | 松橋 鉄治郎 | 長野県 食品工業試験場 食品第二部長 | |
1975 | 77 | 昭和50年7月 | 編集後記 | |||
1975 | 78 | 昭和50年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅧ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1975 | 78 | 昭和50年10月 | 各種含糖化合物の生化学的意義(Ⅰ) −グリコッシド、サポニン、ステリンアルカリド− |
涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1975 | 78 | 昭和50年10月 | 生物学の諸法則(Ⅳ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1975 | 78 | 昭和50年10月 | カルバニオン型金属化合物を用いる最近の合成反応(Ⅱ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1975 | 78 | 昭和50年10月 | 無炎原子吸光分析における衛生化学への応用(Ⅲ) | 佐藤 彰 | 岩手県衛生研究所 化学部長 医学博士 | |
1975 | 78 | 昭和50年10月 | 薬化学の先駆者・丹波敬三(Ⅴ) | 根本 曽代子 | ||
1975 | 78 | 昭和50年10月 | シダ植物中の昆虫変態活性物質に関する研究 −その1− | 奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 転換期の新年に当たりて | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 道徳と私 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅨ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1976 | 79 | 昭和51年1月 | 生物学の諸法則(Ⅴ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | ORGANIC METALS -伝導性有機化合物の話題− | 大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 麹カビのアルカリプロテアーゼ | 林 和也 | 中央研究所 主任研究員 農学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 新しいカルシウム代謝調節物質(3報) | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | シダ植物中の昆虫変態活性物質に関する研究 −その2− −Shidasteroneの構造研究−1− |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 薬化学の先駆者・丹羽藤吉郎(Ⅵ) | 根本 曽代子 | ||
1976 | 79 | 昭和51年1月 | 編集後記 | |||
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩ) −水銀溶液の保存について− |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1976 | 80 | 昭和51年4月 | 死に抵抗する力(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 最近の反応試薬の話題(Ⅰ) −クラウンエーテル−その1− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 大環状化合物の合成(Ⅰ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅰ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1976 | 80 | 昭和51年4月 | シダ植物中の昆虫変態活性物質に関する研究 −その3− −Shidasteroneの構造研究−Ⅱ− |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 薬化学の先駆者・恩田重信(Ⅶ) | 根本 曽代子 | ||
1976 | 80 | 昭和51年4月 | 編集後記 | |||
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅠ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1976 | 81 | 昭和51年7月 | 死に抵抗する力(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 最近の反応試薬の話題(Ⅱ) −クラウンエーテル−その2 |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 大環状化合物の合成(Ⅱ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1976 | 81 | 昭和51年7月 | コレステリンの栄養生化学(Ⅰ) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅱ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 薬化学の先駆者・西崎弘太郎(Ⅷ) | 根本 曽代子 | ||
1976 | 81 | 昭和51年7月 | 編集後記 | |||
1976 | 82 | 昭和51年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅡ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1976 | 82 | 昭和51年10月 | 生物学の諸法則(Ⅵ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1976 | 82 | 昭和51年10月 | コレステリンの栄養生化学(Ⅱ | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1976 | 82 | 昭和51年10月 | NAD(P)補酵素モデルの化学 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1976 | 82 | 昭和51年10月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅲ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1976 | 82 | 昭和51年10月 | シダ植物中の昆虫変態活性物質に関する研究 −その4− −Shidasteroneの構造研究−Ⅲ− |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1976 | 82 | 昭和51年10月 | 薬化学の先駆者・池口慶三(Ⅸ) | 根本 曽代子 | ||
1976 | 82 | 昭和51年10月 | 編集後記 | |||
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 年頭にあたって | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 不老・長寿・不死 | 鵜飼 貞二 | 前静岡薬科大学長 薬学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅢ) | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1977 | 83 | 昭和52年1月 | モラビアの旅 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | アスコルビゲン・プロビタミン( C ) 付・アスコルビン酸の栄養生化学 | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | フラビンの化学 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅳ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 果糖 | 黒澤 雄一郎 | 理学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | シダ植物中の昆虫変態活性物質に関する研究 −その5− −Shidasteroneの構造研究−Ⅳ− |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 薬化学の先駆者・田原良純(Ⅹ) | 根本 曽代子 | ||
1977 | 83 | 昭和52年1月 | 編集後記 | |||
1977 | 84 | 昭和52年4月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅥ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1977 | 84 | 昭和52年4月 | モーファクチンとサイトカラージン | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1977 | 84 | 昭和52年4月 | アスコルビゲン・プロビタミン( C ) 付・アスコルビン酸の栄養生化学 | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1977 | 84 | 昭和52年4月 | 最近の反応試薬の話題(Ⅲ) −フルオレスカミンとMDPF− |
大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1977 | 84 | 昭和52年4月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅴ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1977 | 84 | 昭和52年4月 | 薬化学の先駆者・高峰譲吉(ⅩⅠ) | 根本 曽代子 | ||
1977 | 84 | 昭和52年4月 | 編集後記 | |||
1977 | 85 | 昭和52年7月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅦ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1977 | 85 | 昭和52年7月 | 細胞膜の構成とその生化学的機能 | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1977 | 85 | 昭和52年7月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅵ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1977 | 85 | 昭和52年7月 | 薬化学の先駆者・正親町実正(ⅩⅡ) | 根本 曽代子 | ||
1977 | 85 | 昭和52年7月 | ヘムモデルの分子修飾 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1977 | 85 | 昭和52年7月 | 編集後記 | 山田 博 | 編集責任者 | |
1977 | 86 | 昭和52年10月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅧ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1977 | 86 | 昭和52年10月 | 干上がった地中海 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1977 | 86 | 昭和52年10月 | In Beam EI マススペクトル | 大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1977 | 86 | 昭和52年10月 | ビタミンB12類の化学 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1977 | 86 | 昭和52年10月 | 細胞膜の構成とその生化学的機能(2) | 涌井 袈裟参 | 星薬科大学 前教授 薬学博士 | |
1977 | 86 | 昭和52年10月 | 薬化学の先駆者・大口喜六(ⅩⅢ) | 根本 曽代子 | ||
1977 | 86 | 昭和52年10月 | 編集後記 | |||
1978 | 87 | 昭和53年1月 | 新年を迎えて | 安保 五郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | 工業分析化学随説(ⅩⅩⅩⅩⅩⅨ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1978 | 87 | 昭和53年1月 | カルボン酸測定と臨床的意義 | 中島 邦夫 | 山形大学 医学部 生化学教室 助教授 医学博士 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | ”補酵素B12のモデル反応” | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | De Vriesを弁護したい(Ⅰ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | 化合物の数はどれくらいあるか | 松隈 昭 | 三菱化成工業株式会社 総合研究所 安全科学センター 理学博士 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅶ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1978 | 87 | 昭和53年1月 | 編集後記 | |||
1978 | 88 | 昭和53年4月 | De Vriesを弁護したい(Ⅱ) | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1978 | 88 | 昭和53年4月 | 化学スプレー法によるインジュウム-スズ酸化物透明導電膜の製作とその性質 | 三宅 清司 | 山口大学 教授 理学博士 | |
1978 | 88 | 昭和53年4月 | 大気汚染物質の計測と測定試薬 | 間宮 真佐人 | 東京工業試験所 工学博士 | |
1978 | 88 | 昭和53年4月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅷ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1978 | 88 | 昭和53年4月 | 薬化学の先駆者・上野金太郎(15) | 根本 曽代子 | ||
1978 | 88 | 昭和53年4月 | 編集後記 | |||
1978 | 89 | 昭和53年7月 | 工業分析化学随説(LⅩ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1978 | 89 | 昭和53年7月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅸ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1978 | 89 | 昭和53年7月 | Gradient maker & decanter | 大澤 一爽 | 東京大学 医学部 理学博士 | |
1978 | 89 | 昭和53年7月 | Zurich大学留学記 その1 | 奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1978 | 89 | 昭和53年7月 | 薬化学の先駆者・安香堯行(16) | 根本 曽代子 | ||
1978 | 89 | 昭和53年7月 | 編集後記 | |||
1978 | 90 | 昭和53年10月 | 工業分析化学随説(LⅩⅠ) 【注:54、55−欠 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1978 | 90 | 昭和53年10月 | 発ガン・制ガン関連物質の展望(Ⅰ) −ガンの薬物療法への反省− |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1978 | 90 | 昭和53年10月 | クラウンエーテルおよびクリプタンドの化学(Ⅰ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1978 | 90 | 昭和53年10月 | 疑似無重力の中の生物実験 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1978 | 90 | 昭和53年10月 | 薬化学の先駆者・太田雄寧(17) | 根本 曽代子 | ||
1978 | 90 | 昭和53年10月 | 編集後記 | |||
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 新しき年を迎えるに当って | 野澤 俊太郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 発ガン・制ガン関連物質の展望(Ⅱ) | 水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 化学スプレー法によるカドミウム-スズ酸化物透明導電膜の製作とその性質 | 三宅 清司 | 山口大学 教授 理学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | バクテリオドプシンの光生物化学について | 辻本 和雄 | 電気通信大学 工学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 寺田寅彦による墨と硯の研究 | 大澤 一爽 | 東京大学 医学部 理学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 尿中の薬毒物の分析(Ⅹ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | Zurich大学留学記 その2 −2-Amino-1-azirineの化学− |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1979 | 91 | 昭和54年1月 | 薬化学の先駆者・近藤平三郎(18) | 根本 曽代子 | ||
1979 | 92 | 昭和54年4月 | 工業分析化学随説(LⅩⅡ) 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1979 | 92 | 昭和54年4月 | 発ガン・制ガン関連物質の展望(Ⅲ) −ガンの薬物療法への反省− |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1979 | 92 | 昭和54年4月 | 化合物の番号と記号(Ⅰ) | 松隈 昭 | 三菱化成工業株式会社 総合研究所 安全科学センター 理学博士 | |
1979 | 92 | 昭和54年4月 | 有意義な化学計測システム・窒素酸化物を例にして | 間宮 真佐人 | 東京工業試験所 工学博士 | |
1979 | 92 | 昭和54年4月 | 薬化学の先駆者・慶松勝佐衛門(19) | 根本 曽代子 | ||
1979 | 92 | 昭和54年4月 | 編集後記 | |||
1979 | 93 | 昭和54年7月 | 工業分析化学随説(LⅩⅢ)【注:54、55−欠】 | 加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1979 | 93 | 昭和54年7月 | 発ガン・制ガン関連物質の展望(Ⅳ) −ガンの薬物療法への反省− |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1979 | 93 | 昭和54年7月 | 尿中の薬毒物の分析(ⅩⅠ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1979 | 93 | 昭和54年7月 | 薬化学の先駆者・朝比奈泰彦(20) | 根本 曽代子 | ||
1979 | 93 | 昭和54年7月 | お願い | |||
1979 | 94 | 昭和54年10月 | 動脈硬化と高血圧の予防 −食品に含まれる有効成分を中心に- |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1979 | 94 | 昭和54年10月 | 固体電界発光と蛍光材料 | 三宅 清司 | 山口大学 教授 理学博士 | |
1979 | 94 | 昭和54年10月 | クラウンエーテルおよびクリプタンドの化学(Ⅱ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1979 | 94 | 昭和54年10月 | 尿中の薬毒物の分析(ⅩⅡ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1979 | 94 | 昭和54年10月 | 薬化学の先駆者・中尾萬三(21) | 根本 曽代子 | ||
1979 | 94 | 昭和54年10月 | 編集後記 | |||
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 新春を迎えて | 野澤 俊太郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 味の化学話(Ⅰ) −呈味物質の構造と味- |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 化学発光計測の理論と応用 −ルミノールによる過酸化水素- |
大澤 一爽 藤田 幸江 |
東京大学 医学部 講師 理学博士 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 尿中の薬毒物の分析(ⅩⅢ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | クラウンエーテルおよびクリプタンドの化学(Ⅲ) | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 生体空間と位置情報 | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 薬化学の先駆者・緒方章(22) | 根本 曽代子 | ||
1980 | 95 | 昭和55年1月 | 編集後記 | |||
1980 | 96 | 昭和55年4月 | 工業分析化学随説(LⅩⅣ) -自動滴定装置について- 【注:54、55−欠】 |
加藤 多喜雄 武井 信典 |
東北大学名誉教授 理学博士 茨城大学 教授 理学博士 |
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1980 | 96 | 昭和55年4月 | 味の化学話(Ⅱ) −呈味物質の構造と味- |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1980 | 96 | 昭和55年4月 | シダ植物の栄養葉と胞子葉の成分研究 その1 −Osmunda属の栄養葉と胞子葉の成分研究- |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1980 | 96 | 昭和55年4月 | ケサランパサラン | 中澤 信午 | 山形大学 理学部 生物学教室 教授 理学博士 | |
1980 | 96 | 昭和55年4月 | ルシフェリン・ルシフェラーゼ発光反応による受光(Ⅰ) | 大澤 一爽 | 東京大学 医学部 講師 理学博士 | |
1980 | 96 | 昭和55年4月 | 薬化学の先駆者・刈米達夫(23) | 根本 曽代子 | 薬学博士 | |
1980 | 96 | 昭和55年4月 | 編集後記 | |||
1980 | 97 | 昭和55年7月 | ご挨拶 | 野澤 俊太郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1980 | 97 | 昭和55年7月 | 味の化学話(Ⅲ) −呈味物質の構造と味- |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1980 | 97 | 昭和55年7月 | 尿中の薬毒物の分析(ⅩⅣ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1980 | 97 | 昭和55年7月 | シダ植物の栄養葉と胞子葉の成分研究 その2 −ヤマドリゼンマイの栄養葉から得られる新Flavonol glycosideの構造- |
奥山 徹 | 明治薬科大学 助教授 薬学博士 | |
1980 | 97 | 昭和55年7月 | ルシフェリン・ルシフェラーゼ発光反応による受光(Ⅱ) | 大澤 一爽 | 東京大学 医学部 講師 理学博士 | |
1980 | 97 | 昭和55年7月 | 薬化学の先駆者・福原有信(24) | 根本 曽代子 | 薬学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 味の化学話(Ⅳ) | 水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 化合物の番号と記号(Ⅱ) | 松隈 昭 | 三菱化成工業株式会社 総合研究所 安全科学センター 理学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 10年振りのゴードン研究会議出席記 | 大橋 守 | 電気通信大学 教授 理学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 電子移動反応による化学発光 | 多田 愈 | 早稲田大学 理工学部 教授 理学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 薬化学の先駆者・清水藤太郎(25) | 根本 曽代子 | 薬学博士 | |
1980 | 98 | 昭和55年10月 | 編集後記 | |||
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 新年のご挨拶 | 野澤 俊太郎 | 関東化学株式会社 取締役社長 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 味の化学話(Ⅴ) −呈味物質の構造と味- |
水野 卓 | 静岡大学 農学部 教授 農学博士 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 尿中の薬毒物の分析(ⅩⅤ) | 丹羽口 徹吉 | 科学警察研究所 法科学第1部長 医学博士 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | インターフェロン | 中島 邦夫 | 山形大学 医学部 生化学教室 助教授 医学博士 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 生体に使用するpH緩衝剤(Ⅰ) | 大澤 一爽 藤田 幸江 |
東京大学 医学部 講師 理学博士 東京大学 医学部 生理学教室 |
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1981 | 99 | 昭和55年1月 | 化合物の番号と記号(Ⅲ) | 松隈 昭 | 三菱化成工業株式会社 総合研究所 安全科学センター 理学博士 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 薬学ゆかりの外国人(Ⅰ) | 根本 曽代子 | 薬学博士 | |
1981 | 99 | 昭和55年1月 | 編集後記 |